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ロバート・シェクリィ「人間の手が触れない」その2

人間の手がまだ触れない (ハヤカワ文庫SF)

人間の手がまだ触れない (ハヤカワ文庫SF)

悪魔たち

悪魔が悪魔召喚しようとしたら人間の保険外交員が呼び出されてしまった話。
なんか訳が……ビールズバブの曾孫のニールスバブ?
元の単語の綴りはしらんがビールズバブじゃなくてベルゼバブじゃないの?名前的に。

専門家

各生きものたちが集って構成されている宇宙船の「推進係」が壊れた。「語り手」と「思考係」は原始「推進係」の居る惑星へ降り立ち新たな「推進係」を手に入れようとするが……
これまた妙な訳。
別に無理に横文字のまんまにしなくても翻訳語でよさそうな気もするけど。そっちの方がこの連中の奇妙さが際立つし

七番目の犠牲

何度かの世界大戦の後、戦争をなくすべく、とある政策が取られた。人間の闘争本能はそのままに、戦争を回避する手段。それは希望者たちが殺し合いを行うというものだった。
これはこれは……。
「DUDS HUNT」あるいは「フリージア」
とにかく、理想主義者の多いSFではまず書かれそうにない話だね。というかこういうのって日本ぐらいかと思ってたけど。

儀式

来訪者を神と奉る原住民の居る惑星に不時着した宇宙飛行士たちが水を奪い合う話。

静かなる水のほとり

探鉱者がbot作って延々会話する話。
イイハナシダナー



全体的に見るとフレドリック・ブラウン程ではないが、「七番目の犠牲」一つでフレドリック・ブラウンを超えていると言っても過言ではない。




世の中には「SFらしいSF」なんてものが存在するらしいが、定義や作風だけでもはやありとあらゆるものを内包しそうなSFで「SFらしい」なんて言葉がいかに無意味かを考えた事があるんだろうか。
何故だか帝都物語日本SF大賞受賞したりしてるし*、単なる魔法のファンタジーも何時の間にかSFに分類されているらしい。この辺どう解釈してんのかね?SF作家の作品に魔法やら悪魔使ったものがあるからそれらもSFに分類してるのか。大体に於いて科学的な説明の無い事象を扱った作品をSFに据えるってのはどういうことなのかと。
そんなわけでもう何がSFでそうで無いのかすらよく分からんのに、「SFらしい」なんて語ってるのにイラッとせざるを得ない。そんなのは単なる思い込みで見方を変えればあるものがSFとして表現できるわけだから、個人的にSFなんてジャンルはもはやジャンルとして成り立ってないよって言うね。
そんでまあ、そんなわけわからないものに「らしさ」なんてわけの分からないもの求めるんならこっちだって勝手に「SFらしさ」を定義して宣言してやろうという気にもなる。


そんで、個人的にSFらしい作品として「分解された男」とかフレドリック・ブラウンのSF短編を挙げたいけど、
あの連中の挙げる「SFらしいSF」というものの特徴をあげると「面白くない」ものばかりなので、これらの「面白い」小説を「SFらしいSF」に入れるのはなんか違うなという気がする。


それでまぁ、このロバート・シェクリィは日本のSFにも大きな影響を与えたそうで、この手の諧謔味のあるSFが日本でも一ジャンル築いてるとか云々かんぬん。しかし、最近のSFなんか見ててもそんなシェクリイ風のSF小説なんて皆無な気がする。筒井康隆とか清水義範とかろくに読んだこともないし。読む気も起きない。小学生のころに「時をかける少女」読んで「これがSF?」と思ったもんだ。